2013年6月17日月曜日

デュシャンの「大ガラス」に出会った不思議な旅

この土日に東京に行っていた。

目的は土曜日の夜に、某オフ会に参加するためだ。

彼らとは2年ほど前からの付き合いで、年に1, 2度会うだけなのだが、会えば昔からの友人同士のように語り合える。この2年、いろいろなコミュニティに参加してきたが、ここが今の僕の原点で、人生で最初に参加した「コミュニティ」でもある。

彼らとは出会う前からオンライン上の付き合いがあったためか、初めて顔を合わせた時から、旧知の友人同士のような関係が築けていたような気がする。

彼らとの出会いで、僕はIT系コミュニティという存在を知り、はじめてのライトニングトークを経験し、多くの仲間と出会えた。

去年、僕が転職した当時、このコミュニティで知り合った友人の二人が京都にいた。僕も京都の会社に就職したので、これで彼らとしょっちゅう飲みに行けるぞ、と思っていたが、結局それが叶わないまま、二人とも時期は異なるものの、仕事の都合で東京に行ってしまった。このオフ会は彼らと久しぶりに再開した場でもあった。

オフ会の主旨自体は、コミュニティのメンバーだった一人と、諸事象によりしばらく会えなくなってしまうため、その前にみんなで会おう、という集まりだった。

なんだかみんな、遠くに行っちゃうなー。そんな事を思いながら、その夜はお酒を飲んだ。

翌日。ホテルを出て、このまままっすぐ帰ろうかと思ったのだが、なにげに道路に設置されていた周辺地図を見ると、近くに大橋ジャンクションがあるというので見学して帰ろうと思った。僕は洋の東西や規模の大小を問わず、珍しい「建築物」が好きなのだ。



ひとしきり大橋ジャンクションの威容を愛でたあと、帰りの時間は特に決めていなかったので、周囲を散歩してみようと思った。

特にあてもなく住宅街を歩いていると、なにやら緑の深い一帯が見える。公園でもあるのかと思いそちらに行ってみると、そこは公園ではなくて、東大だった(笑)

駒場キャンパスだ。


一人で日曜日に大学キャンパス内を歩いていて、不審者と思われたらやっかいなので、とっとと立ち去ろうと思ったが、そういえばここにはアレがあったんじゃないか? とある記憶が頭をよぎった。

僕はマルセル・デュシャンが大好きで、死ぬまでに必ずフィラデルフィア美術館で彼の遺作を見ようと心に決めている。そんなデュシャンの代表作『花嫁は彼女の独身者達によって裸にされて、さえも』(通称大ガラス)の東京バージョンが、駒場の美術博物館に常設されていたはずだ。

いつか観た来たいと思っていたが、東大のキャンパスやその近くに来る用事などあるはずもなく、また、わざわざこのために来るというのもはばかられていたので、ずっと機会を伺っていたのだ。


キャンパス内を探すと、美術博物館はすぐに見つかった。中に入ると、展示ホールの中央にそれはあった。去年、マン・レイの写真展で、彼の「埃の培養」という作品越しに観た、ガラス板(埃の培養に写っているのはオリジナル版で東京バージョンではない)。
あの、作品を象徴するガラスのヒビが入っていない、フラットな表面。念願の「大ガラス 東京バージョン」だ。

これを観た瞬間、すごく不思議な気持ちになった。昨夜、なんとなくさびしい気持ちでお酒を飲んで、その翌日にまったくの偶然に、ここにたどり着いた。この作品が向こうから僕に近づいてきてくれたような、そんな感覚だった。

この土日は、なんだが不思議な旅だったが、来てよかったと思った。